1875年の山形県庁への試植は、山形における西洋果樹栽培の“はじまり”として記念すべき第一歩でした。
そして翌年の1876年(明治9年)、山形県の初代県令・三島通庸(みしま・みちつね)によって、果樹栽培はさらに大きく前進。北海道から外国品種の苗木約300本を調達し、山形市内や県内各地に植えられました。
このとき苗木が植えられたのが「勧業試験場(かんぎょうしけんじょう)」という場所。ちょっと聞き慣れない言葉ですが、これは当時の“農業の実験場”のような施設で、「この果物は山形の気候に合うか?」「どう育てたらうまく実るかな?」といったことを試して、地域に広めるための場所だったんです。
三島通庸はこの試験場を活用して、果樹栽培を地域の産業として育てようとしたんですね。
これらの果樹が150年前に山形の地に植えられたことが
今日の“フルーツ王国・山形”の礎になったと思うと感慨深いです…!
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